徒然なるバカはその日暮らし

雑に色々、長々と淡々と。

嗚呼、ビスコくん

私の職場には無人売店がある。

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こういうやつ。


前の職場にも、前の前の職場にもあった。
そしてそこにはコイツがいた。


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ビスコ
みんな好きかなぁ、ビスコ
美味しくて強くなる、頼もしく愛おしいやつさ。

業務中に軽く食べ物をつまんでもOKな環境だったので、こいつをよく買っていた。

手が汚れないんだなぁ。しかも美味しい。
あと、懐かしい気分になれる。その上美味しい。

短くない時間をコイツと共にしてきたものだ。
おかげで、「ビスコの人」というイメージまで定着した。
私とビスコの関係は永劫続く……。そう思っていたのだが。



あるときから、売店ビスコがオシャレを始めた。
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コンガリ焼けてきたり。

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バッチリ香りをキメてきたり。

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味わい深くなったりしてきた。

正直に告白すると、いつも通りのアイツとの関係も、若干マンネリになっていたところがあったので、オシャレなコイツらをチョイチョイつまんでみたりしたのだ。

しかし、求めていたビスコじゃなかった。


味が濃い、塩的なものが手につく。
何より、あの独特の爽やかなビスコ風味を感じられない。
美味しいけど、とても強くなれる感じはしなかったのだ。
やっぱり、私にはアイツしかいないのだ。
そう思い直し、アイツの、真っ赤なボディを求めに行くと

なんということだ、どこにもいなかった。


社内売店は無論、近隣のコンビニエンスストアにもいない。
赤くて愛しいあんちきしょうが、影も形もなくなり、代わりとばかりに空席には小洒落たビスコたちが居座っていた。

ああ、なんということだ。
ちょっと浮気したばっかりにこんな、こんな。
むごい、あんまりじゃあないか。

こんなにも心と身体が求めているのに見当たらない。
私は深い絶望に打ちひしがれ、ヤケになってレッドブルを飲み干した。
強くなる方法なんて他にある、コイツは翼を授けてくれる。
そう強がるように、アイツに見せつけるように。
虚しい。

そしてまた、思い出したように項垂れながら売店に向かうと、出迎えてくれるのはオシャレさんたちだ。

やめろ、違う。
キミたちも決して悪いヤツじゃない、わかってるさ。
だけど、私が求めているのは
都会に揉まれて、こまっしゃくれたビスコさんじゃない。
長い間健気に、健気に頑張り続けた、泥臭いビスコくんなんだ。

嗚呼、ビスコくん。君が欲しい。




※他の味を貶めたいわけではないです。美味しいのは本当なんです。あと、赤いアイツは地元のスーパーにいました。

言わない方が良いこと。

はじめに

天海春香学会」より発刊された学会誌(同人誌)が本日届き、読み終えました。
本誌には私自身も寄稿をし、なおかつこの記事も寄稿文に触れつつ思い出話をしていく内容になります。
当然ながら、寄稿文『Your Answer』の内容にも触れますので、未読の方はお気を付けください。

筆者が作品外で作品について語ることが、ときに無粋であることは重々承知した上で、読み終わり昂った感情を精算するために当記事を書き進めます。
学会誌に携わられた皆様の熱に当てられ流動を始めた、積年の鬱屈した想いを噴出させていきます。
よしなに。


押井版ルパン三世

と、いうものをご存知でしょうか。
ご存知でなければ、是非↓のリンクからWikipediaを見ていただきたい。
押井版ルパン三世 - Wikipedia
読んでもらえば分かる通り、映画監督であらせられる押井守氏を監督に据えて製作されていたルパン三世の劇場作品でございます。頓挫しましたが。

押井守氏の手掛けられた作品には、虚構と現実とをテーマに用いられるものが多く、そういった点に難解さを覚えて敬遠するオーディエンスも少なくありません。
この押井版ルパン三世も例に漏れず、そういった作品になる予定だったそうな。
その結末は、Wikipediaの当該記事にもある通り、「ルパンは存在しなかった」というものになっていたそうな。
是非とも見てみたかった。
このテーマに興味が湧いた方は「ルパン三世 GREEN VS RED」を見るといい。


シャーロキアン

と、自称するのも烏滸がましいけれども、そうであるかないかで問われれば、私はシャーロキアン寄りの人間であります。
「何それ」? そういう方もいらっしゃいますよね。
シャーロキアン - Wikipedia
まあ、平たく言ってしまえばシャーロック・ホームズファンなのですが、ファンの中でも「シャーロック・ホームズを実在の人物として研究(ごっこ)をしている」人たちとでも言いましょうか。
研究と呼べるほどのことを、私個人でやっていたりはしないのですけども、そういった方々の研究によって肉付けされたシャーロック・ホームズの実在性(?)には強く惹かれてきました。



本題(???)

※ここから述べていく「実在性」というものが一般語彙における「実在性」なのか、カント的「客観的実在性」なのか分からなくなってしまったので、ご了承ください。
意味合い的には、「そのキャラクターを他と区別し、現実に実体たらしめるような、より強く曖昧な自己同一性」みたいなものを指していると考えていただきたい。わからん。

上まででつらつらと書き連ねたことが、「天海春香学会と何の関係があるのか」と思われたでしょうが、要は「私はこういうものを見て生きてきました」という回りくどい自己紹介です。
こういうものを見て聞いた上で、「現実に実在しない人格の実在性」、それを無意識下において妄想しながら生きていた部類の人間であるという自己紹介です。
ちょっとでも好きなキャラクターに出会うとすぐに考えてしまうわけです。彼ら、彼女らは何者なのだろうか、と。

それは、天海春香に対しても例外ではありませんでした。


思い出話

天海春香というキャラクターの実在性について、ちょっと考える期間がありました。
あっちこっち迷走もするんですけども、期間の中で考える方向性を与えてくれるきっかけがあったりしました。それがBUMP OF CHICKENさんの楽曲『リボン』のリリースです。
(↓こちら、公式のMVです↓)
https://www.youtube.com/watch?v=6m3A1MP_gbU
おい、今笑っただろ?
何でか自分でも分からないんですけど、これを聴いたときに真っ先に浮かんだのが「天海春香」なんです。
タイトルが影響しているのは当然なんですけどね、歌詞もなんというか天海春香含め765プロのアイドル達とP達との道程を思い起こされたんです。
そして同時に「天海春香が一切登場しないPV」を思い浮かべたんです。
765プロのアイドルや876プロのアイドル、魔王エンジェルやレッドショルダーなんか出してもいいんじゃないか。
とにかく、天海春香に縁がある人を出して出して出しまくって、画面にはいなくても確かにそこに「天海春香の実在性」を強く感じさせる内容のPV。
そんなものが作りたい、とぼんやり思っていたんです。

とはいえ、当時の私は創作に関わるものなぞ何一つやっていなくて、1から学ぶ気力が起きなかったもので、結局絵に描いた餅で終わりました。
いや、終わる予定でした。押井版ルパン三世
既に学会誌を読まれた方には察していただけることでしょうが、この妄想PV案が私の寄稿文の着想元(というか、そのもの)であります。


『Your Answer』1

天海春香という存在の輪郭を描き出したい。それが、着想元から変わらないコンセプトです。
無粋な言い方をしてしまえば、天海春香に縁のある人物の「フリ」をしているだけなので、結局直接説明しているようなものですけど。

誰が、何について語っているのか。判然としない状況から『Your Answer』は始まります。
それらは、読み進めていくうちに明らかになっていくわけですが、読んでいる間に「わかる~」、「それな」、「ありそう」という肯定的な反応や、「そうか?」、「いや、それは違う」といった疑問・否定的反応を持つことでしょう。
それが、まさしくあなたの天海春香が何者なのか」という答え、あるいは答えを出す足掛かりになるのだと思うのです。


非実在人格の実在性

架空のキャラクターは架空ですから、現実に肉体として存在はしておりません。
しかし、その人格・人間性となれば話は別だと思っております。

肉体は、言うまでもなく物理的実体を伴わなければならないため、架空のキャラクターらがそれらを以て存在することはほとんど不可能であります。
しかしながら、人格・人間性に関しては元より物理的実体を持たないものであるため、「それがそのキャラクターの人格・人間性である」と第三者に認識さえされれば実在します。強い実在性を確保すれば、そのキャラクターの人格は実在のものとなる、ということです。暴論では。

公式、版元から提示される断片的情報から、それを受信したオーディエンスたちは、情報を統合しそのキャラクターらの人格を形成します。そして、形成された人格を元に、所謂ヲタクたちは様々な空想を広げていく。
これが一個人の妄想の中だけで留まればそこまでですが、これを他者と共有し、否定も肯定も疑問もないまぜにして最大公約数を求めていった先に、かなり純度の高い精錬された実在性を獲得しうるのではないでしょうか。
シャーロキアンたちはこれをやっていて、かつ今回の天海春香学会についても、こういった側面を初期より勝手に見出したりなどしていました。


『Your Answer』2

上で述べた、読者の中に生じる様々な「反応」。それも一つの起点となって、万者万様の天海春香像を内に創り出していくことでしょう。
これ以上回りくどいのもどうかと思うので、直接言ってしまうと
私は天海春香に「よりリアリティのある人格」を与えたかったのです。
烏滸がましいですね。

昨今の天海春香像について、私も一春香Pとして思うところがあります。
だから、彼女の「人間」性を強く浮きぼらせ、認識させたかった。それだけなのです。
彼女本人の言葉ではなく、彼女の周りの人間の言動から間接的に輪郭を描くことで、強く、リアリティのある実在性・人間性を獲得させ得るのではないか。
それが、『Your Answer』に込めた野望です。

「光」を認識するには「闇」が不可欠です。
「個」を認識するには「全」が必要です。
「自」を認識するには「他」がなくてはなりません。

なので、全から見た「個」である天海春香を描くことを『リボン』から夢見て、当初の想定とは異なるものの、完成と相成ったわけです。



終わりに

いつも通り、長くなりました。 そして、感情のまま書き連ねたので意味が分からなくなりました。それもいつも通り。
この長さに、学会誌を読んでかき乱された昂った感情が現れているのではないでしょうか。

天海春香学会誌』は私の想像していた以上に、精錬された混沌に溢れていました。
整然とも煩雑とも言えるその様相に、天海春香の歩んできた歴史と、彼女の獲得した人間性の奥深さを思わざるを得ません。
購入済みの方も、まだ検討中の方も、是非ご一読いただきたい作品となっております。
気になったなら是非、ポチっと↓
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ディズニーヴィランズに見る「悪役の死」の理想

お久しぶりです、ナマモノです。

なんかスッゲー仰々しいタイトルですけど、実際に書いていくのは
「ディズニー作品のここが好きです!!」
的な内容になります、多分。



皆さんはディズニー作品はお好きでしょうか?
僕は大好きです!!

東京ディズニーリゾート等の影響で
ディズニー好き=陽キャパリピ
みたいなイメージが強いのかな、と思いますが、ご存知の通り僕は根っからの陰の者です。
明るいお話よりも、ほの暗くて少しくらい歪みのある方が大好きな陰の者です。

そんな僕が、心から「大好き」と言えるくらいには、「夢の国」という文字面の印象とは裏腹に、どこか陰が見え隠れするお話群。
それがディズニー作品でございます。
どうか、私のような陰に身を置く方にもディズニー作品を好きになって頂きたい、興味を持って頂きたい、という想いで書いていこうと思います。



さて、ディズニー作品は「どこか陰が見え隠れ」と言っているくらいなので、お話の舞台があからさまに陰惨というわけではないです(例外も……)。
むしろ平穏でのどか、あるいは煌びやかであったりすることが多い。
そんな舞台にとびきりの陰を差してくれるのが、皆大好き「ディズニーヴィランズ」です。もちろん僕も大好きです。

今でこそ、「ディズニーヴィランズ」なんてユニットみてえな言われ方してチヤホヤされて、親しみやすさ出して来てますが、その実、悪役として行ったことはキャラクターによって様々。

動物虐待、誘拐に軟禁、謀殺や独裁。目的は分からんけど唐突に現れて、ヤバそうな亡霊やらたんまり呼んで、「ああ、こいつはすんげえことやらかしそう」と思ったら唐突に消える、なんて奴もいます。

罪にバラツキはあれど、(最後に上げたような例外を除けば)その行動原理は至ってシンプルかつほぼ一致しています。
「我欲」。それに他なりません。
人間であれば、大なり小なり備えているであろう欲。本能に刻まれた3大欲求とは切り離された欲。ある種、人を人たらしめるものに基づいて、思うままに振る舞う。うんうん、「悪役」って感じ!

そんなところに、ヒーロー・ヒロイン以上の人間味を感じるからこそ、僕はディズニーヴィランズもとい悪役・ヒールが大好きなのですが、それはまたどこか別の機会に語らせていただきます。

話を戻しましょう!
前述の通り、ディズニーヴィランズは各々の欲望を満たすために、己の力の限りの悪逆非道を行います。
そして、その末路は――。
言うまでもないでしょう。

さあ、やっと本題ですね! 長くてすみません!!


彼ら(彼女ら)の最期(こう書いていますが、命を落とすとは限りません)、その多くはどこかコミカルなものに見えます。
足滑らせてみたり、首吊ってみたり、落ちてみたり燃えてみたり、溺れたり灰になったり様々。字面だけで見ると「え、普通にエグくない?」と思えるかもしれませんが、作品で映像として見るとどこか、こう、やってきたことに比べて間の抜けて思えたりする(まあ、結構トラウマもんの描写なんですけど)。
絵柄や「ディズニー」という効果も影響してるかもしれませんね。

しかしながら、僕はその末路にこそ惹かれます。

彼ら(彼女ら)に最期をもたらす存在。
その多くは、物語のヒーロー・ヒロイン「ではありません」。

ヴィランズは自身の道程、因果によって殺されます。

無論、間接的にヒーロー・ヒロインが関わりはします。
ただ、勧善懲悪を描く作品らとは異なり、直接手を下すことは意外と少ない。
自身の行ってきた悪逆非道により、文字通り「自滅」していくのです。
脅かそうとしたもの、利用したもの、作り上げたもの壊したものが、破滅へ導く。
ここに、釈然としない心地を覚える方も少なくないのでしょうが、僕はむしろ美しさを感じますし、「悪役の死の理想」にこそ思える。

自身の行動、自身の罪が、その最期を決定づける。これは、この上ない正当な裁きだと思うのです。
逆に、どれほどの大義名分を得ていようが「個人の手によって下される裁き」は、何者かの「我欲」に基づいた暴力と相違ないのではないでしょうか。

一側面から見れば、功績と呼べるかもしれない。でも、行ったことの本質に目を向けると……。
「我欲」に則り、罪を犯した者の末路はここまでで述べた通りです。

自身の手を汚した途端、裁かれた者と同じ穴の狢となる。
ディズニーは暗にそれが言いたくて、ヒーロー達に直接的な手段に訴えさせないのでは、そう思います
(直接手を下されることが、正当な裁きであると言える作品もあります。そして、実際にそういった結末を迎えます)。



因果応報。
長くなりましたが、これが私の思う理想的な「悪役の死」であり、ディズニー作品の最推しポイントだというお話でした。


さあ、ディズニー作品に興味、湧いてくださいましたか?
今は「ディズニーデラックス」という月額サービス等もあり、触れる機会にも恵まれています。
もし、もし、ちょっっっとでも興味が湧いたという方は是非とも、帰りにTSU○AYAによって1本でもレンタルして頂けたら、と思います。

僕の最推しは『ノートルダムの鐘』です!!!!!!



補足
ディズニーは「基本的に」死を明確に描きません。
生死不明っぽい描写が多いです。
まあ、でも、死んでますよ、はい。

Indigoを聴きました

    やっとこさ聴き終わり、やっとこさ言語化できたため、感想をまとめていく。

考察ではなく、あくまで感想文もとい怪文書であるので悪しからず。



○トラックリスト
    美しい。見世物として完成された水槽 「アクアリウム」で始まり、未知且つある種神秘の夜の海「night sea」で締めくくられる。
〔CORE〕から変わらず、1本の物語めいた構成に感嘆せざるを得ない。

 


○楽曲
アクアリウム

    一曲目にして、本アルバムのキラーチューンその1だと考えている。
アシッドジャズを感じさせる、静かだが確かなノリの良さがある楽曲。
1:10前後から広がるようにバッキングの力が入り、1:28前後からサッと落ち着き抜けていく。静かな水面が激しく泡立ち、何事もなかったように消えていくような感覚を覚える。


しかしながら、シンコペーションによる前進感が伴って、穏やかであれど勢いは殺されぬまま2コーラス目に入っていく。


    本アルバム中、歌唱最難関ではないかと個人的には思っているが実際のところはどうか。

 

 

・ララルハレルヤ
    表題曲ということもあってか、ノリやすくカラッとした印象。
    今回は全体的にウェットな印象が少なく、夏らしい爽やかさや涼やかさを感じられる。
MVにある通り、晴天の下をオープンカーで風を感じながら聴きたくなる。

レトリーなポップ調でとっつきやすく、如何にも表題曲といった感じ。

(とはいえ失恋の詞なのだ。一体駒形友梨(以下、氏)は何度曲中で失恋するのか)

 

 

・invincible self

 このアルバムの中で唯一「縦ノリ」でアニメソング調の楽曲。

奇しくも、その曲調にはどこか「プリキュア」を感じたりした。

 「越えることのできない(障害)」、「無敵」を意味する“invincible"を冠する通り、曲が進んでいくにつれて障害を乗り越え無敵に近づいていくような力強い歌詞と歌唱を聴ける。

 楽曲、タイトル、歌詞、歌唱、全てにおいて今現在における氏の集大成に触れられるのではないだろうか。

「声優」、そして「アーティスト」。なくてはならない氏の両側面が強く現れた、本アルバムにおけるキラーチューンその2(個人的に)。

 

 

・おそろい

 氏が作詞を担当した楽曲その1。

    ボサノバ・ジャズ調の穏やかで温かい曲。

 1stシングル「トマレのススメ」のカップリング曲、「Lonely Blueが終わる頃には」でも見られたような、楽曲の雰囲気に寄せすぎない巧妙な歌唱(だと思う)。

 氏によるイタズラっぽい可愛らしい歌詞に、どこかくすぐったさも感じる小気味よい歌唱がマッチして、氏の楽曲群の中でもまた質を異にした作品に仕上がっている。

(これを聴いた後に、機会があれば鷲崎健氏の「バラバラ〜Balance 2 Variance〜」を聴いてみて欲しい)

 

・August 31

 ラテン調の情熱的な曲調と、強い後悔を思わせる歌詞によって紡がれるナンバー。

    クラシックギターとフィンガースナップの色気あるイントロに、バンドネオンの美しく力強い旋律を乗せて続く。

美しくしなやか、しかし確かな力強さのある氏の歌声の1番の特性(だと思っている)を最もよく感じられるナンバーではないか。

 (また失恋である)



優しい雨

 氏が作詞を担当した楽曲その2。

「August 31」とは対照的な雰囲気で、落ち着いたピアノと氏の歌声から始まる、ゆったりとした響きがじわじわと沁み渡るナンバー。

      歌詞もまた一つ前の楽曲とは対照的な「前向きな別れ」を思わせるものであり、曲調と合わせてタイトルどおりの、優しくて温かい雨、まるで催涙雨のような雨を思わせるナンバーとなっている。


    今回の氏による作詞はどちらもとても愛らしく柔らかい印象で、〔CORE〕の「時の葉」の詞とはまた方向性の違うものとなっている。

「おそろい」と併せ、氏の幅広さと可能性を明示する1曲。

(ああ、失恋である。悪いか?)


(余談になるが、雨に濡れてみるのも悪くないな、と感じた筆者は、このブログを書いている日の朝、雨の中徒歩で出社した。雨は冷たかった)


 

・night sea

 歌詞はなく、曲と氏のボーカリーズのみで構成される。

 先にも述べた通り、未知で神秘の「夜の海」だと感じたわけであるが、歌詞が存在しないという点でお分かりいただけるのではないだろうか。

 歌詞がない分、この楽曲の情報量は極端に少なくもあり、同時に際限なく膨大にもなり得る。それは、この楽曲に対するリスナーの想像を狭めることもあれば、逆にどこまでも広げることもできるという意味だ。

即ち、極めてこの楽曲の全貌は掴みづらくなっている。

 ここにまさしく、深淵を感じさせる「night sea」を見ることができるのではないだろうか。

 この歌は、どこまでも広がる神秘への希望を歌っているのか、はたまた恐怖やためらいを歌っているのか。

 

 

○まとめ、雑記

 さて、上までに書いてきた詳細な楽曲の感想はどうでもいい。重要なのはジャンル、というかそれぞれの楽曲の雰囲気の「差異」である。

 私も所詮は素人であるため、音楽に詳しいというわけではない。そのため、上までに述べたジャンル例も正しいものであるかは分からないが、雰囲気の差異を感じていくために、知識を振り絞って近いジャンルを並べた(つもり)。

 伝わっていると信じたいが、各々の楽曲に似通った曲調のものは一切存在していない。

このある種ハチャメチャな曲調の違いにこそ今回のアルバムの妙がある。

 

 それぞれはそれぞれの楽曲として独立し、多元的な世界を構成している。初めに述べた通り、楽曲的な意味合いでの繋がりや確かなコンセプトは感じられるものの、歌詞などによって構成されるそれぞれの楽曲が描く世界が一貫して繋がっているわけではない。

    それぞれの楽曲の曲調は述べてきた通りに異なるものであるし、詞についても視点や心情が異なっていて、且つどこか「俯瞰的」な印象を持っている。

故に、「多元的」と表現することとした。


 ここで思い出していただきたいのは、氏が一つ前にリリースしたアルバム名である。

 

 〔CORE〕。「核」だ。

 繰り返しになるが、一見繋がりのない多元的な世界が並立し、構築されるこの「Indigo」。しかしながら、てんでんばらばらに感じさせない理由が〔CORE〕にこそあると思う。


  〔CORE〕という形を以て、氏の核は事前に我々リスナーの前に提示された。

不変の、「声優」であり「アーティスト」の駒形友梨の確固たる「核」。

これが今回描かれた多元的なそれぞれの世界を繋ぐ「核」として在るのではないか、そのように思う。

(いや、まあ、先にも述べている通り、それぞれ夏らしさのあるナンバーだし、〔CORE〕を知らなくてもチグハグ感は全く感じないだろう。しかし、〔CORE〕の後にこの「Indigo」をリリースしたことに確かな意味を感じずにはいられないのだ)


    だからこそ、まだ〔CORE〕を手に取っていないリスナーに関しては、是非とも〔CORE〕を聴いてから改めてこの「Indigo」を聴いてみて頂きたい。

    この作品は、「声優」という枠を外れるレベルでとても完成度の高いものである。

しかし、いずれも氏が「声優」であるからこそ100%を越えて表現できる楽曲ばかりであるとも思う。

氏のキャリアの「今の段階での」完成というものを、〔CORE〕を踏まえてこの作品から感じて頂きたいのだ。




    長くなったが最後に、このアルバムの完成に関わった全てのクリエイターと、駒形友梨氏に心からの感謝と敬服を添えて、この怪文書を締めくくろうと思う。

Only One Second

所詮私は後追いなのだ。
深みにはまったときにはすでに遅い。そんな失敗を幾度となく繰り返している。

しかし今はいい時代だ。モノを手に入れれば記録が見れて、言葉を辿れば記憶が覗ける。
だが、その記録と記憶が紡がれた時間の中に、私はいない、どこにも。
どれだけ頭の中に、それらを詰め込んだとしても、それは上っ面だけのもののように感じられてしまう。
そんな、なんとも言えない虚しさは、永久に消え去ることがなかった。


5月19日までは。

クソくだらない想いを抱いたままのあの日の私を迎えたのは、永遠に最高を更新し続ける輝ける一瞬であった。
たった1音、たった1節に乗るナニカが、むず痒く粘ついたナニカを全て消し飛ばした。

ああ、知ってる。知ってる歌だ。
ちょうど一年前に初めて聞いたんだ。


一年前の私は「予習」と言うものをほとんどせずにさいたまスーパーアリーナを訪れた。
コールが必要なものだけある程度聞いておき、そうでないものに関してはノータッチでいた。
元々ここまでどっぷり浸かるつもりもなかったからだ。

そんな中途半端の脳天から足の先まで紫に染めてくれたのがこの歌だった。よく覚えている。
これ以上美しく、心に響くモノを見る日が来るのだろうか。
あの瞬間から、氏の歌と声に文字通り釘付けにされた。
あらゆる機会を行使して、歌声を求めた。
無心で記録と他人の記憶を掘り起こし、悔いる。
その悔いを塗り潰すように、行けるところまで行った。
そして、先の問いかけへの答えは存外早く出た。
聞く度に、見る度に、それはどこまでも美しく見え、心中に響いてきた。虜だった。
1年足らずで見事に捕らえられた。
この歌で、力強く進めた。


走馬灯、と言うべきだろうか。
この歌を聞いたあの瞬間から、今日に至るまでの想いが蘇る。
そう、僕は今ここにいる。
記録の中にいる。彼女が最高の瞬間を描くその中にいる。
追いかけてきた長さなど関係がなかった。今目の前に輝いている氏が最高なのだから。
生暖かい水滴と、その重さに引かれるように頭が垂れる。
やっとの思いで顔を上げると、氏の紡ぐ瞬間と笑顔が、まつ毛にこびり付いた雫に乱反射し、一際輝いて見えた。
綺麗だった。

所詮私は後追いだ。
そんな水を差すような事実を吹き飛ばすように、氏の瞬間が吹き付けてくる。
その風速と熱気にあてられて、無意識に腕が上がり、それを振っていた。
声にならない声を上げようとしていた。声帯は不可抗力に振るえて、機能を果たしてはくれなかった。

1音毎に、1節ごとに氏の最高が塗り替えられていく。一瞬たりとも見逃せない。見逃したくない。
それでも心が勝手に、瞳にモヤをかけてくる。
必死に引き剥がして、身体が前を向こうとする。
なんでこんなに美しいんだろう。
そう思いながら過ごす1秒は何万秒にも感じられて、永遠にこの時間が続く気がして。

しかし終わりが来ると、裏腹に一瞬に感じられた。
ああ、終わった。
この寂寥感すら美しい。
私は紛うことなき、祭りにいたのだ。

燃えぬペン

ブログを始めました。


どうしてもぼんやりぐるぐる〜っと頭を巡らせると、ズラズラと言葉で埋めつくしてしまう癖がありまして。
Twitterでそれやるのもなんだかなぁ、って言うのと、日々の備忘録として丁度いいかと思い始めた次第です。


つまること、つまらないこと書きますから、よろしければ見ていってください。